モスクワではドイツとソ連の秘密会談が続けられ、8月22日には独ソ不可侵条約が締結された。ヒトラーはこの条約によってドイツがポーランドを侵攻してもソ連がそれに反対しないことを確実にした。また、条約の秘密議定書に、ドイツとソ連はポーランドを分割占領(西側3分の1はドイツが、東側3分の2はソ連が占領)することに合意した。西側同盟国の諜報機関はこの秘密議定書の内容を掴んでいたが、情報はポーランド政府とは共有されていなかった。
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ドイツによるポーランドへの奇襲攻撃は8月26日午前4時に予定されていた。しかし8月25日にイギリス政府は、ポーランドの独立はイギリス・ポーランド間の同盟によって正式に保障されたと発表した。ヒトラーは予定の奇襲をためらい、攻撃開始を9月1日に延期した。その間ドイツは8月26日、ポーランドとの来るべき軍事衝突にイギリスとフランスが介入することを思いとどまらせようと、両国を相手に交渉し、ヒトラーは、ドイツがポーランドを攻撃してもポーランドの西側同盟国がドイツに対し宣戦布告する可能性はほとんどないとの確証を得た。もし宣戦布告しても、ポーランドに対する国境線の確約はないのだから、ポーランドを占領してしまえば交渉によってドイツにとって有利な譲歩を引き出せると考えた。その間にも、ドイツ国防軍の謀略部隊 (Abwehr) による国境を越えた襲撃や破壊行為、国境における小競り合い、ドイツの高々度偵察機による領空侵犯の件数は増加し、戦争勃発は差し迫った状態になっていた。
8月29日、ドイツはポーランドに対しポーランド回廊割譲を要求する最後通牒を突きつけたが、ポーランドはそれを黙殺した。ドイツ外相リッベントロップはポーランドとの交渉は打ち切りにすると宣言した。ポーランド軍は戦争勃発に備えた。8月30日、ポーランド海軍は駆逐艦艦隊をイギリスに向けて出航させた(北京作戦Plan Peking)。圧倒的なドイツ海軍によって狭いバルト海で破壊されないようにする措置だった。同日、ポーランドのエドヴァルト・ルィツ=シミグウィ元帥はポーランド軍の「戦時動員」を布告した。しかしフランスはその動員を撤回するようポーランド政府に圧力をかけた。フランスはこの期に及んでもまだ外交的解決を期待しており、ドイツ軍がすでに動員を完了しポーランド国境に集結していることを理解していなかったのである。1939年8月31日、ヒトラーは戦争開始を翌日の朝4時45分とする命令を下した。この時点のポーランド軍は動員予定の70%(予備役も含めた全軍の半分)しか達成できず、多くの部隊は未だ隊形を整えておらず、それぞれ与えられた前線の守備位置に向かって移動途中であった。